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執筆者の写真ぽまるスタッフ

ぽまるの思い:「アート」について



これまで自分の半径数メートルの人にしかぼやいてなかった「ぽまるのおうち」に至る経緯を、もう少し大きな声でぼやいてみようと思いつつのブログ、第二弾です。


私なんかが語っていいのかという恐れも抱きつつ、そもそも正解なんてないのだから…という勢いで、自分の思う「アート」について書いてみようと思います。


「アート」って何だろう?

親の影響もあり、自分自身、小さい頃から美術館に行ったり、色んな舞台を観に行ったり、モノづくりをしたり…ということは比較的身近なことで、今勤めている「芸術家と子どもたち」の活動に共感したのも、ごくごく自然な流れだったように感じます。

こんなにも「アート」が身近にありながら、未だに「アート」という言葉に馴染めない自分もいて、それは何となく、「アート」に対する社会(私含め)の目線が、なんだか敷居が高くて、「一部の人にしか関わりのない特別なもの」という感じがあるからではないかと思っています。

でも、それと同時に、食べたり、笑ったり、寝たりしたりするのと同じくらい「アート」って人間が生きる上で大切なものなんじゃないかとも思っている今日この頃。

「アート」=「表現すること」

これが、今一番私の中でしっくりしている「アート」の意味です。



自分のダンスは、自分にしか踊れない

ある小学校のワークショップで、あるダンサーさんとご一緒した時のこと。思春期真っ盛りの子どもたちは、何をするにも、隣の友達とくっついて、ふざけて、照れてばかりいました。(それはそれで微笑ましい光景なのだけど…)

そんな時、ダンサーの方が子どもたちに言った言葉がすごく印象的でした。


「みんなは、友達に自分のご飯を食べてもらって、自分のお腹をいっぱいにできるの?自分のご飯は自分にしか食べられないよね。ダンスだって同じだよ。自分のダンスは、自分にしか踊れない。」

なるほど。周りの目が気になって、何か変なことしてからかわれるのが嫌だから、自分の言いたいこととかやりたいことは置いておいて、とりあえず隣の人と笑い合って場をにごす…なんてことは、私にだって日常茶飯事。でもきっと、ずーっとそれだけじゃ、自分がどこにいるのか見失ってしまいそうだなと。

「自分ってどんな人間なんだろう?」と考えることもあるけれど、そもそもその思考や思い、持ってる身体もすべて自分のオリジナルで、自分は自分でしかないんだなと。

そういった「自分」ってものをある意味わかりやすく(理解できるできないではなくて、見えないものが見える、聞こえないものが聞こえるようになるといった、他者と共有できる状態になるという意味でのわかりやすさ)表に出せる一つの方法として、「アート」ってものがあるのではないかな~と。

子どもの線ってなんでこんなに味わい深いのだろう。


ウクレレに助けられた子育て

初めての子育ての時、日本語がまだ喋れない赤ちゃんと2人の生活になかなか慣れなくて、「言葉が通じない」=「コミュニケーションがとれない」と感じてしまっていたのだけれど、ある時自宅にあったウクレレを鳴らしてみたら、2人の間に「あ、なんかこれいいじゃん」って空気が流れた感じがして。それまで、泣いてる赤ちゃんに対して、「どうしたの~?」って声かけたり、抱っこしたりするくらいしか自分の中でのコミュニケーションの手段がなかったのだけれど、ウクレレという手段を手にいれてから、物凄くコミュニケーションをとりやすくなった気がしたのは、私としてはかなり衝撃的な体験でした。 言葉に頼りがちな人間は、言葉でのコミュニケーションに重きを置きがちだけども、はるか昔は、喋るという行為も、相手に何かを伝えるための手段ではなくて、単純に音としての声を楽しむ行為だったとか。 音を鳴らしたり、歌ったり、踊ったり、何かつくったり… 本当にシンプルに、楽しい気持ちや悲しい気持ちから出てきたそれらの表現は、紛れもない今の自分を表しているもので、そういったものが時に、言葉よりも強く他者との結びつきを生んだりもするんじゃないかな~と。それくらい、「アート」って、食べるとか寝るとかと同じくらい、人間の原初的な歓びに繋がっている気がします。


これだけで、なんかちょっと楽しい。


ぽまるのアートワークショップ

そんなこんなで、「アート」をもうちょっと身近なものにすることで、なんというか、もう少し生きていくのが楽になるんじゃないかとか、人と人との関係が柔らかいものになっていくんじゃないかとか、そんなことを思いながらの、ぽまるのアートワークショップです。


音楽の時間じゃなくても楽器を鳴らしたっていいじゃない。 シールは紙以外に貼ったっていいじゃない。 毎日毎日絵具にまみれたっていいじゃない。(洗濯大変だけど…) いつも近くにそういった素材があるだけで、言葉にならない気持ちをほんのちょっと外に出せたりして、それだけですごく肩の力が抜けたりする。へ~この子って、いつもやんちゃだけど、こんな繊細な動きもするんだとか、こんな綺麗な色を描くんだとか、人のことをちょっと違う角度から見たりもできる。


ほんとはきっと、特に子どもたちは、そんな大層なお膳立てをしなくたって、ほんのちょっとした素材さえあれば、そこから面白いこと、ワクワクすることを無限に見つけて、どんどん表現していける存在なのだろうと思いつつ。

私たちができるのは、本当に小さな小さなイベントばかりだけど、その分、一人ひとりの表現や感性とゆっくりじっくり向き合っていきたいな~と思う今日この頃です。


結露の窓に群がる。

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